先日、初めて「ボランティア」に参加してきました。「誰かのために、無償で動く」ということは、生きている中でやったことが無いわけではない。けれど、「ボランティア」と名のつくものに参加したのは、おそらく初めて。
では、ボランティアってなんなのだろう……と改めて思う。厚生労働省は下記のように、示しています。
ボランティアについて明確な定義を行うことは難しいが、一般的には「自発的な意志に基づき他人や社会に貢献する行為」を指してボランティア活動と言われており、活動の性格として、「自主性(主体性)」、「社会性(連帯性)」、「無償性(無給性)」等があげられる。
厚生労働省 社会・援護局地域福祉課(2007年)
自主性、社会性が主な、重要なポイントとして良さそうですね〜(有給のボランティアもありますもんね)。
今回は、私の初めてのボランティア経験を通じて、感じたことを残しておくブログです。

アダルトチルドレン(AC)克服カウンセラーの空しずくです。
パートナーシップで苦しみ「あれ、同じパターンを繰り返しているな……」と気がつき、心理カウンセリングを受ける。自己理解が深まりパートナーシップが劇的に良好に。その後学びと訓練を重ね、アダルトチルドレンの生きづらさを抱える方に向けて、カウンセリングを提供中。心理学部の大学生でもある。プロフィールはこちら
コラムでは、専門的な情報を分かりやすく自分の言葉で書いています。大学での学びのアウトプットの記録。
※ 正しい情報を掲載するよう努めていますが、間違えることもでてくるかもしれません。ご容赦ください。
人はなぜ、ボランティアに参加するのか
私自身は、どうしてなのか考えてみる
41年生きてきた私が、今までやったこともないボランティアに、なぜ行こうと思ったのか。考えてみました
地域と繋がりたい欲
私は、横浜に住んでいました。都会そのものだったところから、今の地域に引っ越した際、地域を身近に感じました。町内放送が「どこどこの、なになにさんが行方不明です」と流れ、その数時間後には「ありがとうございます。見つかりました」と流れる これを聞いて、素朴で近くて、田舎というか(観光地でもあるので田舎という感じでもないのですが)、「人」を感じたんですね。「生活」を感じられたんですね。
有名な地域だけれど、ラフで力が抜けていて、それがオシャレで気取らなくて。こんな今の地域が、大好きになりました。
それも大きいかなと。この街と繋がりたい、そんな感覚が初めて(たぶん人生初)生まれました。
「行きつけのご飯屋さん」とかを持つもの苦手な私に、行きつけのご飯屋さんができたのも、地域(の人)と繋がりたいという気持ちが大きいのかな。
そんな感じで、この街で生きている、それを感じたいみたいな。そんなものがあるのが、ボランティア参加に気持ちが向いた「土台」となっている気もします。
人と繋がりたい欲
そして私は今、お仕事は自宅で1人でできるし(カウンセリングの場合は、クライアントさんとお話ししますが)、大学生としてお家でモクモクと勉強かレポート作っている時間が多く。1日の中で話す人は、旦那さんだけという日も多いんですね。
人ともっと関わりたい、という気持ちが湧いてきました。笑
でも、お仕事という中で人との関わりをしたいわけではない(これは結構重要)。お仕事だと、上下関係ができたり緊張感があったりが嫌で、今それを追加したくない……。
もっと気軽に、肩書きや序列関係なく、優しく繋がりたいという感覚。
これは私が10年間、個人事業主で基本引きこもって仕事ができる形態の中、これまでに何度か思っていた感覚。でも、実際にボランティアに参加しなかったのは……おそらく、実行するまでの気持ちの余裕がなかったからかな。
シングルマザーで個人事業主で、「無償で動くぞ!」という余力がなかった……という感じかな。
知りたい欲
今私は、心理学部の大学生です。その大学は、福祉の大学。
心理学を学びながらも、「福祉」をベースに感じます。高齢者、子ども、障害者……
これまで私は社会にあまり興味が無く、本当に無知でした。レポートを作るたびに、そう思います。
福祉の知識が少しずつ増えていくごとに、自然と「もっと知りたい」と思い、身近なところではどういうことが起こっているのか気になるようになりました。
私は本当に、今まで自分のことでいっぱいだったんだなぁ。それは悪いこととは言わない。その分、重ねた他のものがあるから。
でも、今は頼もしい旦那様がいて、自分の興味を探究できる時間や環境を作ってくれて。生活に追われないでもいい、心のゆとりがある。これ、大きいですね。
とある日、マンションのゴミ収集場にポスターが貼っていて。それが今回参加したボランティアの施設さんです。
大学に通うことで、地域で施されている営みに興味を持ったのです。
役立てたい(役に立ちたい)欲
臨床でのカウンセリング(お話しの聞き方)や、大学で学んだことを役立てたい。
私ができることで、役に立ちたい。
今回、子ども食堂のボランティアに参加したのですが。子どもと話す中で、子どもの心の健康に少しでも役立てたらいいな……という思いがありました。
子どもが困っていると、勝手に決めつけちゃいけないと意識はしつつ。なにか心に抱えている子がいるとしたら、一度では無理だけれど、なんどか通ううちにお話しして、なにかお渡しできたらな……と思っていました。
「心理カウンセリングを行う」といった場面ではないけれど、日常の関わりの中で、身につけたことを活用できたらいいなと。
そこで思うこと。私は高齢者や障害者より、子どもに関わりたいんだなということ。そしてそれは、私自身の体験が関係していること。
私が子どもの頃、寂しい想いを抱えていたこと。
そして、私の子ども達に対して、もっとやってあげられたことがあったんじゃないかって思う気持ちがあること。
私は、昔は出来なかったあれやこれやに、後悔や罪悪感のようなものを持っていて(自分の子どもに対して)、それを今度は上手にやろうとすることで消化しようとしている部分も、ボランティアしてみようと思った気持ちの中に含まれているのではと感じています。
そう思うと、ボランティア参加する人の中には、そういった人も少なくないではないのかな。本人が気づいているかどうかは、別として。
実態調査をみる
内閣府NPO 令和4年度 市民の社会貢献に関する実態調査(2023)
報告書
上記、内閣府の調査を見てみると「ボランティア活動に参加した理由」には、このような結果がでています。
- 社会の役に立ちたいと思ったから(59.1%)
- 自己啓発や自らの成長につながると考えるため(34.3%)
- 自分や家族が関係している活動への支援(25.4%)
- 職場の取組の一環として(11.4%)
- 知人や同僚等からの勧め(11.4%)
- 自分が抱えている社会問題の解決に必要だから(6.7%)
- 社会的に評価されるため(1.9%)
- その他(12.3%)
- 2021年の1年間でボランティア活動を「したことがある」と回答した522人への調査
- 無回答者数16人
ちょっと話がずれますが、先日テレビで見た話をします。
とある男性が、婚約者とお別れして仕事も辞めて、その時にボランティア活動を始めたと。そこでのことが癒しとなり、その後、自分の価値観や生き方が変わり、新しいパートナーと結婚し今は田舎暮らしを楽しまれているようです。
「社会の役に立ちたいと思ったから」そう思う背景には、自信喪失や自分の価値を感じられなくなってしまっていて、それを誰かの役に立つことで、その自信や価値を取り戻そうとするといった意識(無意識でも)も含まれているのかもしれないですね。
子ども食堂
今回私が参加したのは、子ども食堂のボランティア。
どんな人がどういう目的でくる?
子ども食堂って、聞いたことはあったけれど、実際に目にしたことがありませんでした。
- ご飯を十分に食べられない子どもが、食べにくるのかな
- 普段は1人でご飯を食べている子どもが、食べにくるのかな
そんな風に最初は考えていました。
けれども、今回参加してみて、印象がガラッと変わりました。
大人だけ(高齢者さんが主かな)で食べにきている人もいるし、断然多いのは「お子さん連れのお母さん」やそういった複数の(お友達)グループ。
地域柄もあると思います。周辺は、金銭面でのゆとりのある方が多いような地域なので、金銭面で逼迫していて食べにきている、という感じではありませんでした。
どのくらいの人がくる?
「17時半ごろになると、習い事が終わって帰りに友達と食べにくる人が、ワーっときて忙しいよ〜」と、先輩ボランティアさんに言われたのですが、本当でした!
1日に、100食ほど出るんですって。
1つの島に6人座れて、それが9つある。なので、全部で54席。満席で、お待ちいただいている時間もありました。
ワイワイ、にぎやか
18時過ぎ、「ルーローハンがもう無くなりそう」と聞こえる。「無くなったら終わりですか?」と聞くと、「ハンバーグ焼いたよ。そのあとは、カレー。無くなっても、なんとか工夫して最後まで対応するって決めているの」と、主催の方がおっしゃっていました。
その言葉と一緒に、ニコっとされていて。それが、まったく重苦しくなく。爽やかで、すごくかっこよかった。
すごいな、と思った。
子ども無料、大人は300円
子ども(18歳以下だったかな)無料。大人は300円(ホームレスは無料)。
この日のメニューは下記。
- ルーローハン
- スープ
- デザート(フルーツと杏仁豆腐の缶詰)
お茶やジュースは、どなたでも無料かつお代わり自由です。
そして驚いたのは、テイクアウトもある。笑
テイクアウトも、子ども分は無料なんですって。すごい……すごいなぁ。

ルーローハンは、マレーシアの方が作ってくれたよう。ずぅぅっと良い香りがしていて、途中お腹が空いていた……私。
帰りに、テイクアウト分を手渡され、お土産にいただきました。
帰って、すぐに食べました!笑 とっても美味しくて、スープも!! 子ども達とお話ししたり、久しぶりに飲食店のバイトみたいな感じで効率よく動いてみたり(出来てたかどうかは、自己申告。笑)して、心地良い疲れの中、食べながら出来事を回想し、癒やされました。
こんな美味しいものが、無料や300円でいただけるなんて。なんて、ありがたいのだろう。
そこで思う。私の子ども達はもう大きくなって(成人と高校生)、地域のイベントに参加することは無くなったけれど。子ども達が小さい頃は、そういえばお正月の初詣で真夜中に近所の神社へ行き、無料でおでんやお汁粉をいただいていたなぁ……とか。近所の公園でお祭りがあって、盆踊りした後にお菓子を無料でいただいたなぁ……など。
たくさん、地域に助けてもらって、たくさん、受け取っていたんなぁと。思い出す。
そっか。こうやって助けてもらっていたんだな。ご厚意で動いてくれていた人の存在を、別の角度から感じる。
そっか。今度は私がそちら側にいるんだな。今まで支えてもらっていたから、若いお母さんが少しでも楽になることに繋がっているのなら嬉しいな。
こうやって、循環して成り立ってるんですね。
どんな人がボランティアに来てる?
初日の私に親切にしてくれた方は、70代とおっしゃっていて。3人のお子さんがいらっしゃる主婦の方。
他には、幼稚園の先生・料理教室をやられている方など。ほとんどが女性(主婦)で、男性はボーイスカウトの会長(?)さんのおひとりでした。奥様と一緒に来られていました。
お子さんが小さい頃に、この会場の裏にあった幼稚園に通っていて、など、もともと繋がりがあって手伝われている方が多いのかなと思います。
40代〜70代といった感じかな。10人ほどで、場を回しました。
私がしたこと
- 受付・会計
- 配膳・ホール
- 洗い場
- 調理・盛り付け
ざっくり大別すると上記のような感じ。私は、配膳・ホールを任されました。
テーブルに運んだりしているうちに、デザートを個別にカップに分けたり、たまった洗い物を拭いたり。
子どもとおしゃべりする機会を楽しみにしていたのですが、実際はほとんどなく。
目を見つめてくれる子に笑いかけたり、子どもがお茶をこぼしちゃって床を拭きにいったり、「デザート3つ」と取りに来た子に「2個持っていって、もう1個はもう1回取りにこようか」と提案してみたり……した程度でした。
もっと子ども達と、関わりたかった
参加するまでに、躊躇していた理由
参加してみたいと思ってから、しばらく躊躇していました。
やることとか、やらないといけないことはたくさんあるから、やっぱり面倒に思えちゃうかも……
一度行って、次回以降も強制されたら嫌だな……
こんなことを思いながら、やっぱり気になっていて。
AIに話してみたり、旦那さんに話してみたりして(笑)、「一度、体験する」くらいの軽い気持ちでとりあえず行ってみればいい、という決断に至りました
私みたいな人は「疲れたら帰ってもいい。無理しなくていい。できる範囲でいい」こういう心持ちが、すごく大事な気がします。
また、強制は全くされず。先輩参加者さんには「私たち自身が楽しまないとね^^ 来てくれているだけですごく偉いことなんだから」と言われました。
いろいろと頭で思い過ごしをしていたみたい。たとえ結果が思うようなものではなくても、「体験してみること自体」と「そこでの自分の感じたこと」がある意味での結果(報酬)だと思います。
参加して良かったこと
数日経過して思うこと。報酬・対価をもらわずに、なんの脈絡もない人のために奉仕する、といった行為は、自己受容感・自尊心のようなものを育てるなぁと。
それだけの心の余裕が自分にある、という意識も強化されると思います。
それは、「あるから」というより、なくてもやることで「ある」という意識が強くなっていく感覚。
世の中、通常モードで生きていると、「これをしたから、これをもらう」「これをしてもらったから、これを渡す」等価交換で回っていますが。この「なんの脈絡もない人」へ無償で活動するということは、脳に自分に不思議なスペースを作ります。(家族や友人といった大切な人に奉仕する、とは違う)
あれ、なんか変な感じ、みたいな。笑
それだけ、私は、等価交換の世界に生きてきたんだなって。それが変な感じ(違和感)として、感じるのだと思います。
それが、何度かボランティア活動を重ねるにつれて、違和感を感じなくなってきた時、新しい自分になっているそんな気がします。
それから、忙しくてなかなか皆さんとゆっくりお話しできませんでしたが、先輩参加者さんとのゆるやかなひとときの会話もすごく良かったです。先述した70代なんですが、子育てのことお話ししていて。
「もっとこんな風に育てれば良かったなぁなんて、今になって思うよね。後悔なんていうと、子ども達に悪いからね」「でも、思い返すと胸がチクっとするときがありますよね(私)」「うん、そうそうあるよねぇ」
なんだか私にとって、ちょっとした癒しの時間でした。もっとお話ししたいな。ぬくもり感じる優しい方との時間でした。
その方へ帰りに「また来ますね、その時はよろしくお願いします」とお伝えしたら、「うん、うん^^ きっとね^^ きっと会いましょうね^^」と返してくれて。なんだかすごぉぉく温かい気持ちになりました。
まとめ
ボランティアに参加したことがないと、なかなか機会がなかったり、興味はあっても時間をさく勇気が出なかったりすることがあると思います。
でもあなたがもし、
いつもの日常の人間関係に疲れたら……
自分に自信をなくしたら……
あるいは、余裕がないときこそ……
脈絡もない人のために奉仕をしてみてください。
たぶん、ちょっとした違和感を感じるかと思うんです、私みたいに。
それは自分の中のなにかが変わっている、お知らせ。
「誰かの役に立ちたい」この奥には、人の数だけ、なにかが眠っています。
ボランティアをしようと決めたとして、じゃぁ誰に対してしようか、という部分にもあなたが映し出されるはずです。
私は、自分の体験から、子ども達の役に立ちたいと思った。こんなように。
私にはまだ、この部分に癒されていないものがあるのだろうと思います。でもこうやって、動くパワーになるのであれば、それが誰かのHAPPYにつながっているのであれば、こういう整理・昇華の方法もあるなぁって思いますよ。
アダルトチルドレンでしんどい想いをしている人は、きっとこういうことに向いていると思うんだけれどなぁ
主体的に、動いてみてください

